かつての名女優、月影千草の言葉である。
(注)「ガラスの仮面」(花とゆめコミックス)より つまり舞台の上での演技は、まず先に気持ちが先行しなければならない。 例えば、「水が飲みたい」と思うからコップに手が伸びるように、 人間の行動とは、まず先に気持ちが動いているのだ。 歌は心の表現と言われるように、人間の微妙な心の動きを、 「言葉」と「音」の力を借りて表に現れたものが「歌」となる。 人間は、感情が高まってくると声が大きくなり、 落ち込んでいるときは声が暗くなるように、 オペラの場合は、この「心の動き」をかなりの割合で 「音楽」が助けてくれるのだ。 例えばヴェルディのオペラ「アイーダ」から引用すると、 第2幕1場でアイーダとアムネリスが言い争っている…。 アムネリス「…ってことは、私はあんたの恋のライバル。 あんたのライバルは、国王の娘なのよ!」(挑発) アイーダ 「恋のライバル?いいわ!受けてたつわよ。」(挑発に便乗) アイーダが自分の言葉の重大さに気づく(驚き) アイーダ 「ああ!私ったら、身の程知らずな…。許して…。」(後悔) たった30秒の間に、これだけの感情の動きがあり、 この斬るか斬られるかの真剣勝負を、完璧に音楽で表現している。 まさに「神業」である。 ただ、演劇と違ってオペラの難しさは、 心の動きに対して、自分で勝手に「間」が取れないということ。 音楽は決して止まってはくれない…。 制限時間内で表現する「心の動き」。 すべてがオペラ歌手の力量にかかっているのだ。 #
by scalaza
| 2006-12-13 01:49
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「闘うオペラ」
オペラを見るということは、ある意味、闘いに挑むようなものである。
チケットを手にすることは、対戦相手から挑戦状を受け取るようなもの、 そしてスカラ座へ向かうときに通る 「ヴィットリオ・エマヌエレ2世のアーケード」は、 まるで、リングへ向かう長い廊下のようにさえ感じる。 スカラ座で闘う相手とは? 最大の敵は「睡魔」である。 不意に襲いかかる睡魔…。 かつて私は、完全に敗北した経験があった。 「ニューヨーク・メトロポリタンオペラ」東京引越し公演で、 教育実習期間だったにもかかわらず、 無謀にもNHKホールまで見に行ってしまったのだ。 小田急線の中で実習ノートを書き終えた安心感と、極度の疲労、 そしてホールの中の心地よい室温は、まさに私の敗北への序曲…。 上演開始のブザーは、リングサイドで鳴り響く鐘の音、 襲いかかる睡魔と闘う私は、 殴られても殴られても立ち上がるボクサーのようであった。 結局、ヴェルディの「仮面舞踏会」は、 マットへ沈んだ私へのレクイエムに変わり、 それは、プラシド・ドミンゴの歌声であったのをかすかに覚えている。 「体調を整えること」…これは、基本中の基本である。 何故ならチケットを手にした時点で、闘いはすでに始まっているのだから。 #
by scalaza
| 2006-12-13 01:40
12月7日、18時。スカラ座が動き始めた。
スカラ座では21年ぶりの、ヴェルディ作曲「アイーダ」によって開幕したのである。 開幕オペラには、政財界、スポーツ界、芸能界から 多くの人々が招待され、それを一目見ようと詰めかけるファン、 しまいには労働組合の便乗デモまで始まった。 2時間前から、スカラ座広場が閉鎖されたのは正解であった。 ちなみに、開演ギリギリの滑り込みセーフであったマテラッツィは、 とても背が高く、意外と顔が小さいモデル体型なのには驚いた。 この豪華絢爛オペラ以上に、 会場内のお客が豪華であったのは間違いない。 チケットが入手できなかった人々のために、 すぐ隣の、ヴィットリオ・エマヌエレ2世のアーケードの中には、 巨大スクリーンを設置し、開幕オペラのライブ中継が行われていた。 そこに詰め掛ける人々の群れ…。 一瞬「ここは巣鴨?」と錯覚を起こしてしまうであろう。 巣鴨の「とげぬき地蔵」に集まる人々と大差はない。 12月7日、ミラノの一大イベントであるスカラ座初日、 ミラネーゼは、オペラの殿堂スカラ座を心から誇りに思い、 「アイーダ」に酔いしれるのであった。 #
by scalaza
| 2006-12-13 01:34
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