> スカラ座で見る「フィガロの結婚」その③
小姓ケルビーノのアリア「自分で自分がわからない」である。

http://jp.youtube.com/watch?v=VQkghAVjvrk

皆さんは楽譜は読めますか?
モーツァルトの音楽は楽譜に全てが書かれています。

このケルビーノは大人と子供の中間くらいの多感な年齢、
声変わりも儘ならないくらいの中性的な存在です。
したがって、メゾソプラノが「ズボン役」を演じます。

ケルビーノにとってスザンナは「お姉さん」的な存在ですが、
伯爵夫人は憧れの存在。
夫人に対する自分でもよくわからないこの気持ちを、
音楽で見事に表現しています。

まず、全体を通してテンポ感があり、若々しさを表しています。
伴奏部をみれば、若さゆえの不安定な精神状態を、
オーケストラの動きでカバーし、
歌のメロディーラインも比較的に上行型が多いのは、
気持ちの高鳴りを表現します。

伯爵夫人に恋するというのは、ある意味、不純なものですが、
かといって実際、手を出すわけでもなく、
「夫人=崇高なもの」という彼のビジョンが、
あまり厚みのないオーケストレーションにも窺うことが出来ます。

なんともいえないこの気持ちを歌に託して、
山や、泉や、風などの自然に伝えたい…。

そして、2分10秒めのところ。
「たとえ、僕の気持ちを誰も聞いてくれなくても…」

はじめてメロディーラインの下降型が出てきます。

今までの気持ちの高鳴りと比較して、
この部分はとても切なく、恋するゆえの孤独を、
和声学的に言えば「偽終止」という形で表現します。

これ、モーツァルトはよく使い、
胸が締め付けられるような切ない気分にさせられます。

そしてケルビーノは最後に、
「この気持ちは自分にも問いかけるのだ」と仕切りなおし、
完全終止形で締めくくります。

見事な心理描写ですね。
これを舞台にするとこうなります。

http://jp.youtube.com/watch?v=DjKZUA8txm0


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by scalaza | 2008-09-15 23:16