> 「眠れる森の美女」の続き
くだらない前置きはこのくらいにして、この「眠れる森の美女」。

「眠りの森の美女」とか「眠り姫」とか「茨姫」とか言われるらしいが、
一般的には「眠れる森の美女」が正しいようだ。

バレエ作品としての「眠れる森の美女」は、
1890年にサンクトペテルブルグで初演された。
3時間もの大作で、現在も多くのバレエ団が上演している。

当時、劇場の総裁だったフセヴォロシスキーが、
豪華絢爛なバレエ作品を作りたい、と考えたことから制作が始まった。
振り付けはプティパ、音楽はチャイコフスキー。

チャイコフスキーは「白鳥の湖」での失敗があり、
もうバレエ曲は作らないと決めていたという説もあるが、
音楽が失敗だったわけではない。

バレエ曲を作曲すること自体はその後も検討していたので、
「眠れる森の美女」の場合は台本に感動して
仕事を引き受けたとされている。

現在、チャイコフスキーの三大バレエの一つといわれる。

三大バレエ…、さて、もうひとつは何でしょう?
就職試験の一般教養にも出てくる問題らしいです…。
別に知らなくても、生きていけるんですけどね。

チャイコフスキーは1840年に生まれた、ロシアの作曲家。
バレエ音楽や6つの交響曲などで有名である。

ボロディン、バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、
リムスキー=コルサコフのロシア五人組の国民楽派に対し、
チャイコフスキーは西欧派と呼ばれている。

彼の曲は全般にわたり、叙情的で流麗、
絢爛豪華なオーケストレーションであるが故、
現在でも大変人気がある。

したがってクラシック入門などの企画では、
必ずチャイコフスキーの曲が挙げられる。

作風はリズムの天才と言われ、
一つのフレーズを発展の連結にしたり、半音階上昇させたり、
または下降させたりと他の作曲家には見られないものがある。

曲想はメルヘンチックであり、ロマン濃厚といわれる表情が見えたりする。

チャイコフスキーは同性愛者であったとする説もあり、
当時のロシアでは重大問題であったがための苦しみが
作品にも反映しているとして、
彼の紡ぎ出すメランコリックな旋律は、
この方面から解釈するという見方もある。

バレエ「眠れる森の美女」は、
忠実に翻訳すれば「眠れる美女」
(原題Спящая красавица)。

王女の両親(国王と王妃)が娘の100年の眠りを生き長らえて、
眠りから覚めた姫の晴れの婚礼を見届けるという部分や、
王子のキスで目覚める部分などはグリム童話の「いばら姫」に近いが、
チャイコフスキーが取り組んだ台本は、
ペローの童話を基にフセヴォロジスキーが書き下ろしたものとされている。

あらすじを、得意の箇条書きにしてみると、

1)オーロラ姫の誕生により、盛大な洗礼の式典
2)邪悪な妖精カラボスは自分が洗礼に招待されなかったことに怒り狂う
3)オーロラ姫に呪いをかける

「オーロラ姫は、20回目の誕生日に彼女の指を刺して、死ぬでしょう。」

4)リラの精が宣言

「カラボスの呪いの力は強すぎて、完全に取り払うことはできません。
したがって姫は指を刺すでしょうが、死ぬことはありません。
100年間の眠りについたあと、いつか王子様がやってきて、
彼の口づけによって目を覚ますでしょう。」

5)オーロラ姫、20歳の誕生日
6)バラを持ったままで踊り、誤って指を刺す
7)リラの精は城にいた全員に眠りの魔法をかける
8)デジレ王子が一行を率いて狩りをしている
9)リラの精が現れて、オーロラ姫の幻を見せる
10)デジレ王子、城にたどり着く
11)王子のキスによってオーロラ姫は目を覚ます
12)王子は姫への愛を告白し、結婚を申し込む

このバレエの焦点が、リラの精に象徴される「善の力」と
カラボスに象徴される「悪の力」との葛藤に置かれ、
それぞれを表わすライトモチーフの両方が、
話の筋を強調する重要な撚り糸として機能しながら、
バレエ音楽全体を貫いているのである。

チャイコフスキーは1893年に他界するが、
「眠れる森の美女」が国際的なレパートリーとして
不朽の地位を射止めたのは、
1921年のロンドン公演においてであった。
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by scalaza | 2007-05-20 18:24