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「4月のスカラ座公演は?」
アドリアーナ・ルクヴルール(Adriana Lecouvreur)。
フランチェスコ・チレアの作曲した全4幕のオペラである。

18世紀前半にパリで活躍した実在の女優、
アドリエンヌ・ルクヴルールの生涯を描いたこの作品は、
1902年にミラノで初演され大成功を収めた。

今日でも「新イタリア楽派」オペラの佳作のひとつとして、
チレアのオペラ作品中もっとも頻繁に上演される作品となっている。

1899年2月、楽譜出版社ソンツォーニョ社の委嘱により作曲が開始された。
マスカーニ、レオンカヴァッロなど新進オペラ作曲家を多数擁していた
当時のソンツォーニョ社の状況は、
ライバルであるリコルディ社を激しく追い上げていた。

初演劇場とされたミラノ・リリコ劇場にしても、
ソンツォーニョ社が所有・運営し、
自社契約作曲家の新作を上演する一種のショーケースにもなっていた。

第一幕、アドリアーナ登場。

彼女は楽屋の喧騒をよそに台詞の練習に余念がない。
その演技の素晴らしさに思わず一同が賞賛の声を挙げると、
アドリアーナは謙遜して

超有名なアリア、
「Io sono l'umile ancella del Genio creator」を歌う。

さて、これをどう訳すか?

「私は卑しい芸術家の僕です」
「私は卑しい神の僕です」
「私は創造の神の卑しい下僕」
「私は卑しい芸術の下僕です」
「私は創造主の卑しい召使です」
「私は創造の神の卑しいしもべです」
「私は創造の神の卑しい僕」
「私は芸術のつましいしもべ」
「私は創造の神に仕える卑しいしもべ」

ちょっと調べただけでも、これだけの訳が見つかった。

でも、彼女の言いたかったことは、
「私は素晴らしい演出家から言われる通り演技しているだけ…」
ということです。

「神の卑しい下僕」って…。
なんちゅー訳やねん。

みんなが彼女を賞賛しているところで、
いきなり「神の卑しい下僕です!」なんて抜かしたら、
まわり、ドン引きですよ。

…やれやれ。
参考までに、こんな曲です。
http://youtube.com/watch?v=5778Ah_bPo8

さて、アドリアーナ役は
オペラほぼ全曲にわたって登場しなければならないが、
テッシトゥーラが低く歌唱的にはそれほど歌い難い役ではない一方、
第1、3、4幕のそれぞれで、歌ではなく
台詞でドラマティックに語らなければならない聴かせ場があるという
特殊な役柄である。

実際、これら台詞部分でのイタリア語台詞回しが不明瞭だった場合、
その公演は失敗とされる。

このためイタリアではこの役は、好意的に言えば
「歌唱だけでなく演技に自信のあるカリスマを持ったプリマ・ドンナの役」

皮肉っぽく言えば
「かつて有名だったが、声量・声質的に盛りを過ぎたソプラノの役」
と、されている。
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# by scalaza | 2007-03-29 02:07
「サロメ」初体験物語・その2
がくげき【楽劇】

Musikdrama(ドイツ)、
ワーグナーが提案した総合芸術作品としてのオペラ。
音楽・言葉・舞台の各要素が、劇的内容のため
ひとつに結び付けられているもの、とするもの。
広義にはオペラなどの劇的音楽全般。(広辞苑第5版より)

はぁ…。
なんと申し上げたらいいのか…。

確かに「サロメ」は芸術性の高い作品であり、
あの狭いオーケストラボックスよくぞ入ったと思われる、
ギネス級の大編成。
さらにその上を飛び越えてくるオペラ歌手たちの声量。

何をとっても申し分ない。
まさに「これがオペラ!」というステレオタイプであり、
オペラ史に名を残すにふさわしい作品である。

音楽の流れや構成としてはワーグナーを範とした
「楽劇」を継承しているが、
書き込まれている音楽は「二番煎じ」ではなく、
シュトラウス特有の和声感や対位法で構成されている。

「サロメ」は前奏曲なしでいきなりオペラに入り劇的効果を高めたり、
大編成でありながら室内楽風のシンプルさを響かせる管弦楽法など、
独自の個性を多面で発揮している。

さらに「サロメ」は直感、霊感に溢れ、
リード楽器の短い印象的な旋律から
テノールへと引き継がれ本題に入るという、
変わった始まり方をして、
作曲後100年を過ぎた現在に於いても、
斬新さを感じさせるものがある。

それぞれの感情の描写、美しい官能的な旋律、
無調を思わせる不協和音を効果的に融合させ、
劇的効果を高めている。

特に、ヘロデ王の悪い予感、
ヨハナーンの処刑の際の息をものむ効果音的音楽描写は、
描写音楽の鉄人、シュトラウスにのみ成し得たものであろう。

彼女の愛の形を人間の原罪からくる
愛の一つの形として描いている点が興味深いが、
現在の「ストーカー」による犯罪等は、
ちょうどこれと同じタイプであろう。

シュトラウスの高い価値観、職人技を
「サロメ」の中に垣間見ることができる。

…ね、あまりにも完璧すぎて、
「いじる」ところがないでしょう?

「突っ込みを入れるところがない!」っていう、
ツッコミしかできない自分が悲しい。
「連隊」には、いじるところが盛りだくさんだったのに…。

家柄がよく、高学歴で美人、
話も上手くて教養があり、服のセンスもメークも完璧、
その上、料理もプロ級…。

楽劇「サロメ」を人間に例えると、
こんな感じの「隙」の無い女性のようです。

「娯楽」と言う感覚とはかけ離れ、
高尚な芸術作品としてみるべきなのだろうか?
イタリアの作品と、ドイツの作品の違いなのか?

唯一、気になるところとしては、
「テンポ」と「展開」のバランスが悪いところ。
クライマックスにかけて、
どんどん追い込みをかけていかないと、
見ているほうがだれてしまうんじゃないかな…。
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# by scalaza | 2007-03-20 00:17
「サロメ」初体験物語
私は今までに「サロメ」と付き合ったことがない。
「サロメ」はジャンルを正確に分けると「楽劇」に入る。
これがなんとなく、敷居が高そうに思えたのだ。

オペラでありながら、似て非なり。
スパゲッティーで言ったら、
「アマトリチャーナ」と「ナポリタン」くらいの違いである。

どうせお腹に入れば大して変わらないと高を括って、
ヘロデ王の美しい娘「サロメ」の恋愛もの…。
「アイーダ」と似たり寄ったりだろうと思っていたら、
とんでもない!似ても似つかなかった…。

あらすじを読んでビックリ。
「サロメ」とはなんて淫乱な女、
嫌悪感すら感じてしまった。

まるで、デュ・バリー婦人に会う前の、
マリー・アントワネットの心境である。
(池田理代子『ベルサイユのばら』より)

キスを拒まれたからって、
相手の首を切り落として、キスする女がどこにいる?
血の味がするんじゃないか!?
「初めてのキスはレモンの味」でしょう?普通。

この、ネクロフィリアかと思うような、
異常性的嗜好の「サロメ」。

実は死体に対する性愛の歴史はかなり古い。

ヘロドトスの著書には、
「古代エジプトでは、女性の死体を屍姦されることを恐れ、
死んですぐの死体をミイラ職人に渡さなかった…」
という記述が見られる。

現在、日本では屍姦そのものについて罪に問われる事は無いが、
いずれにしても、殺人や死体損壊に繋がる行為であり、
社会的に許容される事はまずあり得ない。

残念ながら、あらすじを読んだだけでは、
何も教訓となるものはない。
しかし有名な楽劇である以上、
何か惹かれるものがあるのでしょう。

今夜、スカラ座でサロメに会ってきます。
この強烈な話に、どのような音楽をつけるのか…。

ちなみに、楽劇「サロメ」は、
オスカー・ワイルドの戯曲のドイツ語訳を
そのまま台本としているので、
新約聖書の「サロメ」の話とは設定が異なるので、ご注意を。

また、佐藤製薬から発売されている軟膏、
「サロメチール」は全く関係ありません。
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# by scalaza | 2007-03-15 08:53
連隊の娘(その2)
初日から何かと話題になっていた「連隊の娘」も
16日で終わります。

今回、初日に話題となっていたのは、
人気テノール、ジャン・ディエゴ・フローレスでした。
なんと、スカラ座の「タブー」を破ったことです。

2月21日付けのコリエレ・デッラ・セーラ紙によると、
アリアを聴衆の拍手に応えてもう一度歌う「bis」は、
スカラ座で1933年以降、禁じてきました。
禁じたのは、指揮者のトスカニーニ。
最後の「bis」は、『セビリアの理髪師』であった。

合唱の場合は例外で、1984年『第一次十字軍のロンバルディア人』、
1986年と1996年の『ナブッコ』では合唱曲のアンコールがあった。

アリアでは、カラスやテバルディ、
またはパヴァロッティ、ドミンゴでさえ、ありえなかったのである。

今回、ペルー人のテノール歌手は、長い拍手のあと
ついに「bis」に応じたとのことである。

参考映像です。
http://youtube.com/watch?v=aBOvfsu__1k

彼のコメントでは、「もちろん2回歌うことは神経を使いますが、
観客に満足感を与えるために歌いました。
2回続けて歌うことは、何度もしていることなので、
自分にとっては難しいことではありません…。」
と、言っています。

ヒアリングできましたか?

さて、終わりにちょっとしたハプニングがあった。
天井桟敷からビラがまかれ、「カンディード」に関することであった。
ベルルスコーニやブレアがパンツ一枚で登場する演出が見たかった、
という内容であった。
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# by scalaza | 2007-03-12 19:57
「連隊の娘」
スカラ座のチケットを2枚頂いたので、
日本で活躍中の若手ソプラノ歌手を誘って行くことにした。
「海老で鯛を釣る」とは、このことである。

このドニゼッティのオペラ「連隊の娘」をスカラ座で見るのは、
これで2回目であり、10年ほど前に同じ演出で見ていたのだ。
幕が開いてすぐ当時の記憶が蘇り、懐かしさすら覚える。

10年前とまったく同じ…。
まるでドラマの再放送を見ているようであった。

唯一、当時と異なるのはそれを見ている私自身である。
オペラが終わって席を立ったとき、腰が痛むなど、
10年前にはなかったはずだ。

さて、連隊の娘は一言でいうと、
とても「オレッキアービレ」(聞きやすい)オペラで、
「えぇー!?」っていう展開の速さを保ち、オペラが終わる。

ジャンルとしては「喜劇」に入るので、
「ランメルモールのルチア」のようなヒロインの心理描写を、
じっくりと音楽で表現するテクニックと異なり、
テンポの良さと、いろんな意味でのサプライズが目立っていた。

戦場で拾われ、連隊に育てられたマリアが、
命の恩人のトニオのことを好きになる。

ここまでは良い。よくある話だ。

たまたま戦争のために足止めされていた公爵夫人の姪が、
マリアであることが判明。
その後、実は娘であったことが判明。

最後にトニオとのことを反対していた母親は、
突然、手のひらを返したように、二人の結婚を許す…。

この二重三重のサプライズと、表面的な話の流れが、
ドニゼッティの軽快な音楽を妙にマッチし、
「放課後、みんなで残って大道具を作りました!」的な、
ベニヤ板の上に描かれた表面的な舞台も含め、
すべてにおいて、統一感があった。
…見事である。

オペラとは、まさに「総合芸術」なのだ。

そして、もう少し軽快だったら良かった役者の動きといい、
拾われた娘が主人公と言う設定といい、
戦争、云々が取り入れられた時代設定といい、
基本フォーマットは、「プリンプリン物語」であると、さらに確信した。
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# by scalaza | 2007-03-08 09:02
ANSA通信より
スカラ座「蝶々夫人」大成功!
ソプラノ・チェドリンスと指揮者のチョンに拍手喝采。

スカラ座にこのような大拍手があったのは久しぶりである。

昨日(9日)浅利慶太演出の「蝶々夫人」が公演された。
主役であるソプラノ、フィオレンツァ・チェドリンスは、
オペラ最後の「ハラキリ」のシーンの後、
舞台で観客からの盛大なる拍手に包まれた。

その後、テノール、Aquiles Machado、スズキ役の藤村実穂子、
ガブリエレ・ヴィヴァーニなど、
ほかのキャスト陣も大きな拍手を受けたが、
最後に指揮者であるチョン・ミュンフンが舞台に現れた時には、
観客からの拍手は、さらに大きくなるほどであった。
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# by scalaza | 2007-02-13 04:06
「5秒で分かる蝶々夫人」
大まかな流れとしては、
1、蝶々さん、ピンカートンと結婚。
2、ピンカートン、アメリカへ帰国。
3、蝶々さん、子供と3年待つ。
4、ピンカートン、アメリカ人の妻を連れて日本に来る。
5、蝶々さん、子供を彼らに託して自殺。

簡単ですね。
これを一幕(50分)、2幕(85分)に拡大しているのです。

気になるところが、自殺する決断の素早さ。
「名誉を守ることができなければ、名誉のために死ぬ」
つまり恥に生きるより、名誉に死ぬというのである。

でも、恥って…、名誉って…。
子供に対する責任はどうするのでしょう?

日本は世界でも自殺の多い国として有名だが、
1984年の人口10万人あたりの自殺死亡率を見ると、
日本は20.4人、ドイツ連邦の20.5人とほぼ同じである。

高いところでハンガリーの45.9人、
福祉国家として有名なデンマークが28.7人、
フィンランドの25.2人と、それぞれ日本より高い数字を示している。

アメリカは12.1人とかなり低い数字でもある。
もっともアメリカでは自分で死ぬという書き置きがなけれぱ、
自殺と認めないなど一概に比較できない面がある。

自殺問題の権威であるシュナイドマンの意見では、
自殺には三つの要素があるという。

まず第1は「生活の乱れ」である。
自分の得にならないことをしたり、人の反感をかう行為を行ったりして、
自分の人生を破滅へと導くのである。
この例として酒に溺れたり、対人関係での衝突などが上げられる。

第2の要因は平素の落ち着きをすっかり失ってしまい、
取り乱すことである。
自殺をしようとする人は、普段の落ち着きを失い、
恐れや疑い、戸惑いなどの否定的感情に支配される状態にあるという。

第3の要因は、抱えている問題に対し、
非常に幅の狭い偏った考え方に固執するのが特徴。
世界は「善か悪」、「生か死か」取るべき道がないと思い込んでしまう。

蝶々さんの場合は、この3つすべてに当てはまるのだ。
 
日本では旧刑法も新刑法も、自殺を犯罪と見なしていない。
その理由は、「自殺に可罰的違法性が認められない」と、
「自殺は罰すべき価値のある違法行為であるが、
自殺者を非難することは残酷であり、責任阻却事由が存在する」。
刑法に自殺関与罪はあっても自殺罪、自殺未遂罪はない。

現行のカトリック教会法では自殺と自殺未遂をともに罰している。
自殺未遂の前歴のあるものは聖職に「不適応」とし、
精神異常でない者が自殺した場合、教会墓地に埋葬することを拒絶し、
葬儀ミサを禁止すると規定している。

話がそれてしまったが、
蝶々さんは、彼氏を喜ばせるために、キリスト教に改宗したり、
アメリカンナイズされ、「ピンカートン夫人と呼べ」と爆弾発言したり、
幸せ絶頂期は、恥を恥と思っていなかったのに、
不幸になったとたん、恥だ、名誉だと言ってしまう思考回路に対し、
私は疑問に感じるときもあるのだ…。
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# by scalaza | 2007-02-08 09:23
「人気の三大オペラ」
日本で比較的多く上演させるオペラは、
「椿姫」「カルメン」「蝶々夫人」
…いずれも女性がヒロインである。

作曲家も違えば、キャラクターも結末も異なり、

ヴェルディ→「椿姫」→フランス人→病死
ビゼー→「カルメン」→スペイン人→殺害
プッチーニ→「蝶々夫人」→日本人→自殺 となる。

今回、スカラ座の2月公演で「蝶々夫人」が予定され、
日本人の歌手、藤村実穂子さんのスズキ役も注目されている。

ちなみに彼女の経歴は、
東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、同大学院修了後、
ミュンヘン音楽大学大学院に留学。
在院中にワーグナー・コンクール(バイロイト)で事実上の優勝、
マリア・カナルス・コンクール優勝など数々の国際コンクールに入賞後、
オーストリア第二のオペラハウス、グラーツ歌劇場の専属歌手として、
幅広いメゾのレパートリー22役を歌う。
現在フリーとしてヨーロッパを中心にオペラ、コンサートと大活躍している。

平成15年度(第54回)芸術選奨文部科学大臣新人賞(音楽部門)
及び2002年出光音楽賞受賞。

ぜひ、彼女を応援しましょう。

さて、「蝶々夫人」とは他のオペラとまったく異なる、
日本が舞台の異国情緒あふれるオペラである…が、
それ故にさまざまな問題もあった。

1900年(明治33年)の1月に「トスカ」がローマで成功をおさめ、
その後、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で初演され、
プッチーニは、リハーサルのためロンドンに行った。
当時、彼の頭を悩ませたのは次作の題材探しであった。

その時、ロンドンで見たのが、演劇「蝶々夫人」。
プッチーニは殆ど英語が解らなかったが、
すべての条件が備わった題材と判断して、
「蝶々夫人」のオペラ化を決定した。

1902年の春にやっとプッチーニは台本を手にし、
身のまわりに日本とアメリカに関する参考資料で埋めつくした。
はじめのプランは戯曲と同じくプロローグと1幕の予定だったが、
2幕ものに決定され、作曲が進められた。

作曲の大半が完成した1903年2月、プッチーニは自動車事故を起し、
全治8ヶ月の足の骨折で入院生活を余儀なくされた。
このため完成が一段と遅れたが、
翌年の1904年の2月17日にスカラ座で初演の運びとなった。

しかし、当時のイタリアからみれば未知の日本の話は、
リハーサルにも混乱を引き起し、
プッチーニはなだめるのに骨がおれたという。

足が悪いうえに杖をひき、咽喉病と糖尿病に悩みながらの稽古通い。
その甲斐あって成功を確信するようになり、
それまで初演には家族を招いたことがないのに、
初日に今までの例を破って劇場に招待した。

前評判も上々でスカラ座の切符の売行きも闇値を呼ぶほどであった。

だが、成功が予期された初日公演は散々の失敗で、
第1幕では風変わりな雰囲気になじめず拍手もないばかりか、
ブーイングが出た。
第2幕では叱声や野次がますます激しく、
歌も音楽も聞えないほどであったといわれている。大失敗であった。

考えられる失敗の原因は、保守的なミラノの人々には、
つまり風変りな舞台、奇妙な音楽と目に映り、
長すぎる2幕などが消化出来なかったことや、
演出のまずさなどがあげられる。

それと当時の若者の間でプッチーニの音楽を、
ブルジョアの音楽という見方もされていた。
そんな連中が先導して騒いだのではという見解もある。
あと、いわゆる「さくら」屋と関係のまずさからともいわれている。

プッチーニは「分からない客には2度と見せてやらない、
この目の黒いうちはスカラ座ではこの上演を決してさせない」と語り、
その夜、さっさとスコアを持ってひきあげてしまった。

「蝶々夫人」はスカラ座でただ一夜限りの公演で終ってしまった。
 
さて、「蝶々夫人」において、
多数の日本の旋律を引用したことはすぐに判る。

彼のオペラにこのようなやり方は多いが、
「蝶々夫人」(日本の歌)、
「西部の娘」(カリフォルニアの歌)、
「トゥランドット」(中国の旋律)により具体的にあらわれてくる。

ただ、日本人によく知られた歌が日本人の観念にしたがって、
適材適所に用いられてはいない。
プッチーニの音楽観から選択されたようだ。

つまり歌詞の内容とか曲の内容には関係なく、
曲想からプッチーニは用いている。

オペラの中に「お江戸日本橋」、「越後獅子」、
「かっぽれ」、「宮さん宮さん」、「高い山から」、
「君が代」、「豊年節」、「推量節」、
「さくらさくら」などが聞えてくるのを注目してほしい。

それらはそのままの形や変形されたり、
ほんの断片的に用いられたり動機になったりしている。

では彼は如何にして数多くの日本の旋律を入手したのだろうか?

このオペラの世界初演は1904年、日露戦争勃発の年であり、
この時の日本の国際的評価は高かったにちがいない。
こうした時期のイタリア駐在公使大山綱介のひさ子夫人は
プッチーニと知己であった。
彼女の在伊期間は1899年(明治32年)から1907年(明治40年)。
彼女はプッチーニに日本の音楽を歌ったりして教えたのであろう。
また日本のレコードを取寄せて寄贈したという話も伝えられている。

プッチーニの部屋に残されて多くの邦楽のレコードは、
1901年にイギリス・グラモフォンが制作したものであった。
オペラに引用されたものばかりだという。

…ここまでが、オペラを楽しむための下ごしらえです。
続いて調理に移ります。
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# by scalaza | 2007-02-06 18:26
「ワーグナーのオペラとは?」
一月のスカラ座公演はワーグナーの「ローエングリン」を中心に、
比較的、静かに終わった。
4時間という超大作のこのオペラは、
全編にわたってメロディラインの美しさ、
または、おなじみ「結婚行進曲」も知られている。

簡単に言うと、ドイツ版「鶴の恩返し」なのだ。
ただ「鶴」ではない、「白鳥」である。

ワーグナーの自伝『わが生涯』によれば、
1843年、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴォルフが編纂した
『オランダ伝説集』が出版され、
このなかにコンラート・フォン・ヴュルツブルクによる
『白鳥の騎士』が含まれている。

ワーグナーはこれを読んだと考えられている。

また、ルートヴィヒ・ベヒシュタインのメルヘン集に
「白鳥にされた子供たちの物語」があり、
このモチーフもワーグナーは利用することになる。

中でも、超有名な「婚礼の合唱」。
いわゆる「ワーグナーの結婚行進曲」として、
メンデルスゾーンの「結婚行進曲」(真夏の夜の夢)と並んで名高い。
しかし、オルガンなどに編曲されるのが一般的であるため、
原曲が管弦楽付きの合唱で歌われることはあまり知られていない。

「ローエングリン」は、ワーグナーのオペラの中でも人気が高く、
もっとも演奏機会の多い作品となっている。

当時15歳だったバイエルン王国の皇太子ルートヴィヒ2世は
このオペラに魅了され、1864年に王位に就くと、ワーグナーを招聘し、
彼の負債のすべてを肩代わりするとともに、高額の援助金を支給した。
また、多額の国費を投じて建設したノイシュヴァンシュタイン城の名は、
「新白鳥城」である。

ヒトラーもまた「ローエングリン」の熱狂的な愛好者だった。
ナチス・ドイツは、ワーグナーの音楽を最大限に利用したが、
とくに第3幕でハインリヒ王による
「ドイツの国土のためにドイツの剣をとれ!」との演説は、
ドイツとゲルマン民族の国威発揚のためにあらゆる機会に利用された。

自分自身が白鳥の騎士となり、ドイツ国内の乙女を救おう!
などと考えたのかもしれない…。

ロマンチックなオペラに魅了される人々は、
かなりの確率で、おかしな行動をとることが多いのだ。

さて、2月はイタリアオペラ!!
「ヴェルディ vs ドニゼッティ」の華麗なるオペラの対決。

私は結構、期待している…。
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# by scalaza | 2007-02-04 18:43
「のだめ効果!?クラシック・ブーム」
人がプロのピアニストになっていく過程は、ドラマである。
厳しいレッスンを経て手に入れる栄光は、
「スポ根ドラマ」に匹敵するくらいだ。

去年放映された「のだめカンタービレ」というドラマも、
音大が舞台になっている物語であった。

しかしそれだけでは少し弱く、
通常、ドラマ性にエッセンスを加えなければならない。

例えば、
冤罪で留置所に入れられながらもコンクールを目指す「赤い激流」。
出生の秘密に翻弄されていく「少女に何が起こったか」。
同じく出生の秘密がらみ「疑惑の家族」。

すべてTBSである。

フジは「ロングバケーション」という、
ハートウォーミングなラブストーリーである。

ドロドロな前者に対して、
ソフィスティケートな後者という対照的な作りだ。

ただ残念なことに、すべてに共通して言えるのは、
ドラマの中での選曲がおかしいのだ。

コンクールの課題曲など、ありえない選曲や、
ガキでも弾けるような難度の低い入学試験曲…。

高視聴率だった割には、リサーチの甘さが目立っていた。

しかし昨年、大ヒットした「のだめカンタービレ」は違っていた。
ベースになるのはラブコメディだが、
ドラマの中で演奏される曲にリアリティーがあり、
それが効果的に使用されていた。

しっかりしたリサーチの上に成り立つこのドラマは、
漫画、ドラマ化、アニメ化とヒットを飛ばしている。

その後、この波に乗った空前のクラシックブーム。
動機はどうであれ、私はすばらしいことだと思う。

まさに「のだめ効果」なのだ。

参考のため、このような曲が使われている。
http://youtube.com/watch?v=x509qCxmRr8

クラシック音楽は決して敷居の高いものではない。
小、中、高で「音楽」を「音学」という観点で見てしまう場合も多いが、
ほかのジャンル同様、クラシックも楽しいものなのだ。
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# by scalaza | 2007-01-18 06:19
   

川倉 靖(かわくらやすし)氏による2009-10年スカラ座オペラのブログです。
by scalaza
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