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「4月のスカラ座公演は?」
アドリアーナ・ルクヴルール(Adriana Lecouvreur)。
フランチェスコ・チレアの作曲した全4幕のオペラである。

18世紀前半にパリで活躍した実在の女優、
アドリエンヌ・ルクヴルールの生涯を描いたこの作品は、
1902年にミラノで初演され大成功を収めた。

今日でも「新イタリア楽派」オペラの佳作のひとつとして、
チレアのオペラ作品中もっとも頻繁に上演される作品となっている。

1899年2月、楽譜出版社ソンツォーニョ社の委嘱により作曲が開始された。
マスカーニ、レオンカヴァッロなど新進オペラ作曲家を多数擁していた
当時のソンツォーニョ社の状況は、
ライバルであるリコルディ社を激しく追い上げていた。

初演劇場とされたミラノ・リリコ劇場にしても、
ソンツォーニョ社が所有・運営し、
自社契約作曲家の新作を上演する一種のショーケースにもなっていた。

第一幕、アドリアーナ登場。

彼女は楽屋の喧騒をよそに台詞の練習に余念がない。
その演技の素晴らしさに思わず一同が賞賛の声を挙げると、
アドリアーナは謙遜して

超有名なアリア、
「Io sono l'umile ancella del Genio creator」を歌う。

さて、これをどう訳すか?

「私は卑しい芸術家の僕です」
「私は卑しい神の僕です」
「私は創造の神の卑しい下僕」
「私は卑しい芸術の下僕です」
「私は創造主の卑しい召使です」
「私は創造の神の卑しいしもべです」
「私は創造の神の卑しい僕」
「私は芸術のつましいしもべ」
「私は創造の神に仕える卑しいしもべ」

ちょっと調べただけでも、これだけの訳が見つかった。

でも、彼女の言いたかったことは、
「私は素晴らしい演出家から言われる通り演技しているだけ…」
ということです。

「神の卑しい下僕」って…。
なんちゅー訳やねん。

みんなが彼女を賞賛しているところで、
いきなり「神の卑しい下僕です!」なんて抜かしたら、
まわり、ドン引きですよ。

…やれやれ。
参考までに、こんな曲です。
http://youtube.com/watch?v=5778Ah_bPo8

さて、アドリアーナ役は
オペラほぼ全曲にわたって登場しなければならないが、
テッシトゥーラが低く歌唱的にはそれほど歌い難い役ではない一方、
第1、3、4幕のそれぞれで、歌ではなく
台詞でドラマティックに語らなければならない聴かせ場があるという
特殊な役柄である。

実際、これら台詞部分でのイタリア語台詞回しが不明瞭だった場合、
その公演は失敗とされる。

このためイタリアではこの役は、好意的に言えば
「歌唱だけでなく演技に自信のあるカリスマを持ったプリマ・ドンナの役」

皮肉っぽく言えば
「かつて有名だったが、声量・声質的に盛りを過ぎたソプラノの役」
と、されている。
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by scalaza | 2007-03-29 02:07
「サロメ」初体験物語・その2
がくげき【楽劇】

Musikdrama(ドイツ)、
ワーグナーが提案した総合芸術作品としてのオペラ。
音楽・言葉・舞台の各要素が、劇的内容のため
ひとつに結び付けられているもの、とするもの。
広義にはオペラなどの劇的音楽全般。(広辞苑第5版より)

はぁ…。
なんと申し上げたらいいのか…。

確かに「サロメ」は芸術性の高い作品であり、
あの狭いオーケストラボックスよくぞ入ったと思われる、
ギネス級の大編成。
さらにその上を飛び越えてくるオペラ歌手たちの声量。

何をとっても申し分ない。
まさに「これがオペラ!」というステレオタイプであり、
オペラ史に名を残すにふさわしい作品である。

音楽の流れや構成としてはワーグナーを範とした
「楽劇」を継承しているが、
書き込まれている音楽は「二番煎じ」ではなく、
シュトラウス特有の和声感や対位法で構成されている。

「サロメ」は前奏曲なしでいきなりオペラに入り劇的効果を高めたり、
大編成でありながら室内楽風のシンプルさを響かせる管弦楽法など、
独自の個性を多面で発揮している。

さらに「サロメ」は直感、霊感に溢れ、
リード楽器の短い印象的な旋律から
テノールへと引き継がれ本題に入るという、
変わった始まり方をして、
作曲後100年を過ぎた現在に於いても、
斬新さを感じさせるものがある。

それぞれの感情の描写、美しい官能的な旋律、
無調を思わせる不協和音を効果的に融合させ、
劇的効果を高めている。

特に、ヘロデ王の悪い予感、
ヨハナーンの処刑の際の息をものむ効果音的音楽描写は、
描写音楽の鉄人、シュトラウスにのみ成し得たものであろう。

彼女の愛の形を人間の原罪からくる
愛の一つの形として描いている点が興味深いが、
現在の「ストーカー」による犯罪等は、
ちょうどこれと同じタイプであろう。

シュトラウスの高い価値観、職人技を
「サロメ」の中に垣間見ることができる。

…ね、あまりにも完璧すぎて、
「いじる」ところがないでしょう?

「突っ込みを入れるところがない!」っていう、
ツッコミしかできない自分が悲しい。
「連隊」には、いじるところが盛りだくさんだったのに…。

家柄がよく、高学歴で美人、
話も上手くて教養があり、服のセンスもメークも完璧、
その上、料理もプロ級…。

楽劇「サロメ」を人間に例えると、
こんな感じの「隙」の無い女性のようです。

「娯楽」と言う感覚とはかけ離れ、
高尚な芸術作品としてみるべきなのだろうか?
イタリアの作品と、ドイツの作品の違いなのか?

唯一、気になるところとしては、
「テンポ」と「展開」のバランスが悪いところ。
クライマックスにかけて、
どんどん追い込みをかけていかないと、
見ているほうがだれてしまうんじゃないかな…。
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by scalaza | 2007-03-20 00:17
「サロメ」初体験物語
私は今までに「サロメ」と付き合ったことがない。
「サロメ」はジャンルを正確に分けると「楽劇」に入る。
これがなんとなく、敷居が高そうに思えたのだ。

オペラでありながら、似て非なり。
スパゲッティーで言ったら、
「アマトリチャーナ」と「ナポリタン」くらいの違いである。

どうせお腹に入れば大して変わらないと高を括って、
ヘロデ王の美しい娘「サロメ」の恋愛もの…。
「アイーダ」と似たり寄ったりだろうと思っていたら、
とんでもない!似ても似つかなかった…。

あらすじを読んでビックリ。
「サロメ」とはなんて淫乱な女、
嫌悪感すら感じてしまった。

まるで、デュ・バリー婦人に会う前の、
マリー・アントワネットの心境である。
(池田理代子『ベルサイユのばら』より)

キスを拒まれたからって、
相手の首を切り落として、キスする女がどこにいる?
血の味がするんじゃないか!?
「初めてのキスはレモンの味」でしょう?普通。

この、ネクロフィリアかと思うような、
異常性的嗜好の「サロメ」。

実は死体に対する性愛の歴史はかなり古い。

ヘロドトスの著書には、
「古代エジプトでは、女性の死体を屍姦されることを恐れ、
死んですぐの死体をミイラ職人に渡さなかった…」
という記述が見られる。

現在、日本では屍姦そのものについて罪に問われる事は無いが、
いずれにしても、殺人や死体損壊に繋がる行為であり、
社会的に許容される事はまずあり得ない。

残念ながら、あらすじを読んだだけでは、
何も教訓となるものはない。
しかし有名な楽劇である以上、
何か惹かれるものがあるのでしょう。

今夜、スカラ座でサロメに会ってきます。
この強烈な話に、どのような音楽をつけるのか…。

ちなみに、楽劇「サロメ」は、
オスカー・ワイルドの戯曲のドイツ語訳を
そのまま台本としているので、
新約聖書の「サロメ」の話とは設定が異なるので、ご注意を。

また、佐藤製薬から発売されている軟膏、
「サロメチール」は全く関係ありません。
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by scalaza | 2007-03-15 08:53
連隊の娘(その2)
初日から何かと話題になっていた「連隊の娘」も
16日で終わります。

今回、初日に話題となっていたのは、
人気テノール、ジャン・ディエゴ・フローレスでした。
なんと、スカラ座の「タブー」を破ったことです。

2月21日付けのコリエレ・デッラ・セーラ紙によると、
アリアを聴衆の拍手に応えてもう一度歌う「bis」は、
スカラ座で1933年以降、禁じてきました。
禁じたのは、指揮者のトスカニーニ。
最後の「bis」は、『セビリアの理髪師』であった。

合唱の場合は例外で、1984年『第一次十字軍のロンバルディア人』、
1986年と1996年の『ナブッコ』では合唱曲のアンコールがあった。

アリアでは、カラスやテバルディ、
またはパヴァロッティ、ドミンゴでさえ、ありえなかったのである。

今回、ペルー人のテノール歌手は、長い拍手のあと
ついに「bis」に応じたとのことである。

参考映像です。
http://youtube.com/watch?v=aBOvfsu__1k

彼のコメントでは、「もちろん2回歌うことは神経を使いますが、
観客に満足感を与えるために歌いました。
2回続けて歌うことは、何度もしていることなので、
自分にとっては難しいことではありません…。」
と、言っています。

ヒアリングできましたか?

さて、終わりにちょっとしたハプニングがあった。
天井桟敷からビラがまかれ、「カンディード」に関することであった。
ベルルスコーニやブレアがパンツ一枚で登場する演出が見たかった、
という内容であった。
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by scalaza | 2007-03-12 19:57
「連隊の娘」
スカラ座のチケットを2枚頂いたので、
日本で活躍中の若手ソプラノ歌手を誘って行くことにした。
「海老で鯛を釣る」とは、このことである。

このドニゼッティのオペラ「連隊の娘」をスカラ座で見るのは、
これで2回目であり、10年ほど前に同じ演出で見ていたのだ。
幕が開いてすぐ当時の記憶が蘇り、懐かしさすら覚える。

10年前とまったく同じ…。
まるでドラマの再放送を見ているようであった。

唯一、当時と異なるのはそれを見ている私自身である。
オペラが終わって席を立ったとき、腰が痛むなど、
10年前にはなかったはずだ。

さて、連隊の娘は一言でいうと、
とても「オレッキアービレ」(聞きやすい)オペラで、
「えぇー!?」っていう展開の速さを保ち、オペラが終わる。

ジャンルとしては「喜劇」に入るので、
「ランメルモールのルチア」のようなヒロインの心理描写を、
じっくりと音楽で表現するテクニックと異なり、
テンポの良さと、いろんな意味でのサプライズが目立っていた。

戦場で拾われ、連隊に育てられたマリアが、
命の恩人のトニオのことを好きになる。

ここまでは良い。よくある話だ。

たまたま戦争のために足止めされていた公爵夫人の姪が、
マリアであることが判明。
その後、実は娘であったことが判明。

最後にトニオとのことを反対していた母親は、
突然、手のひらを返したように、二人の結婚を許す…。

この二重三重のサプライズと、表面的な話の流れが、
ドニゼッティの軽快な音楽を妙にマッチし、
「放課後、みんなで残って大道具を作りました!」的な、
ベニヤ板の上に描かれた表面的な舞台も含め、
すべてにおいて、統一感があった。
…見事である。

オペラとは、まさに「総合芸術」なのだ。

そして、もう少し軽快だったら良かった役者の動きといい、
拾われた娘が主人公と言う設定といい、
戦争、云々が取り入れられた時代設定といい、
基本フォーマットは、「プリンプリン物語」であると、さらに確信した。
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by scalaza | 2007-03-08 09:02
   

川倉 靖(かわくらやすし)氏による2009-10年スカラ座オペラのブログです。
by scalaza
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